きよみのこと

「喜世美企画」は、私の名前です。きよみ、と読みます。

長い間、YouTubeを通して着物の着方や、着物とともに暮らす楽しさをお伝えしてきました。

その中で応援してくださる方が増えて、もう10年近くのお付き合いになる方もいます。

「着物が好き」という気持ちを軸に、場所は違っても、みんなで一緒に年を重ねていく。

それが、このブランドの願いです。

まずは、そんな私のことを少しお話しさせてください。

── 私もこんな着物を着たい

祖母との記念撮影 | 喜世美企画

生まれも育ちも金沢。母は授業参観に、いつも着物で来てくれました。毎回、同じ薄緑の色無地。

「素敵な服は買えないから」

そう言っていたけれど、クラス中のお母さんの中で、母がいちばんきれいでした。

奥能登の祖母は、畑でも山でも、いつもモンペ姿。

その祖母が金沢に来た日、「洋服はモンペしかないから」と、ウールの着物に半幅帯で現れました。

母の正絹しか知らなかった私には、衝撃でした。

特別なものではない、日常の身だしなみとしての着物。私もこんな着物を着たい、と思いました。

── 寒かったから、着ました

着物を着始めたころ | 喜世美企画

二十歳で結婚して、転勤であちこちへ。二十七歳のとき、築百年の家に住みました。

玄関は閉まらず、壁の隙間から外が見える。台所に立つのに、腰へ毛布を巻かないといられない寒さでした。

ガラスに映る自分を見て、思いました。

「二十代なのに、終わっているな」

そのとき、母の言葉を思い出したのです。

「着物は下に何を着ていても見えないから、寒い時は着物が一番よ」

たんすの奥から、着物を出しました。

帯が結べません。浴衣の着付け本をめくったら、祖母と同じ貝の口が載っていました。

何度もやり直して、やっと結べた日のことを覚えています。

下手でも何でも、毛布を巻いているよりマシだもん。

そう言い聞かせて、こっそり家の中だけで始めた着物生活でした。

── 着られない日も、ありました

毎日パンを作ることに精一杯だった、パン屋時代のスナップ | 喜世美企画

三十一歳で、念願のパン屋を開きました。

スーパーの中の店で、休みは元旦だけ。毎日パンを作ることで精一杯で、着物を着るのは、年に一度になりました。

五年間、そうでした。

だから私は、着られない日があることを知っています。体が変わることも、暮らしが変わることも。

それでも、和から離れなくていい。

そう思うのは、あの五年があったからです。

── 着物で、パン屋

パン屋の接客係は着物 | 喜世美企画

お店をリニューアルするとき、デザイナーさんが私の着物姿を見て言いました。

「着物で出ちゃいなよっ! 田舎のお母さんみたいな着物だし、いいと思うよ」

その一言で、パン屋なのに着物になりました。

割烹着は暑いので、前掛けとタスキ紐を縫いました。

足が汗ばむのでステテコを。立ち仕事で疲れるので、下駄をウレタンの草履に。真冬は地下足袋に。

心地よさを求めて、一年ずつ工夫を重ねて、今に至ります。

喜世美企画の品は、机の上で考えたものではありません。

全部、困って、作ったものです。

── 第一章と、第二章

「今日の着物」2000回目・第一章最終回のときの一枚 | 喜世美企画

二〇一七年から、着物のことを発信してきました。

オリンピックが終わったらやめるつもりでしたが、待っていてくださる方が多くて、やめられなくなりました。

「今日の着物」は、二〇〇〇回で第一章を終えました。毎日、見てくださってありがとうございました。

着物は、着る物。

特別なことがなくても、自由に着ていい物。

完璧じゃなくても、好きな物に包まれたら幸せになる。

そう思いながら、二十五年。今年で五十二歳になりました。

ここからは第二章です。場所は違っても、また一緒に年を重ねていけたら嬉しいです。

きよみ

▸ YouTube チャンネル
 https://www.youtube.com/kimono-tonton


喜世美企画の想い